
「学習・音楽・食育を通して、学ぶ楽しさを知り、虹色の未来を拓く力へ」
埼玉県鳩ケ谷市(現川口市)生まれ。学習塾指導歴19年(2026年3月)。
木曽呂幼稚園、鳩ケ谷市立里小・中学校卒業。
幼稚園時代からピアノを習い始めましたが、小1の時、バス代でどうしても食べたかった駄菓子チョコバットを購入し、徒歩で帰宅してしまい、やめさせられました。なんとも短絡的な子どもでした。今もあまり成長していないかも知れません。
小4でNHKーFM小泉先生の「世界の民族音楽」、小5THE BEATLES、小6幻魔大戦(キース・エマーソン)のサウンドトラックにどっぷりつかり、音楽のとりこに。
中学時代は、音楽と陸上競技、吹奏楽部とにのめりこみました。体育の時間にふと「♯と♭と音階との関係性」に気付き、心が躍りましたが、音楽の道を選びきれず。意志薄弱な中学生でした。
高校受験は、埼玉県立浦和高等学校・城北埼玉高等学校・獨協埼玉高等学校を受験。浦和高校は不合格。今思えば、獨協埼玉高等学校に進学したかったのだと思いますが、当時は自己主張力に欠けていたのでしょう、城北埼玉高校へ進学しました。
城北埼玉高校の1年生の時、やはり音楽の道に進みたい・極めたい!という気持ちを外に出せるようになってきましたが、その気持ちをついに抑えきれなくなり、中退して、再度、高校受験をし直し、伊奈学園高等学校に進学します。よく両親は許してくれたと思います。
大学は武蔵野音楽大学作曲学科へ進み、萩原英彦氏に師事。卒業後、大宮にある押田謙文堂に就職し、秋から南青山ビクター音楽カレッジへ進み都志見隆氏に師事。ビクター音楽カレッジを卒業後、都志見隆氏の所属事務所にお世話になりながら音楽制作について学び、2000年「ティーダノミチ」でCDデビュー。2001年に「ゆき」を発表。その後に、独立。その先に行けなかったのは、「言葉の力」が足りなかったと思います。
高校受験の失敗、様々な方々との出会い、音楽活動から得た教訓は、今も色濃く私の人生に影響を与えつづけています。
2002年に独立し、学習塾の講師・音楽教室インストラクター・音楽制作の3本で生計を立てます。2009年に「やきとりじいさん」という私のオリジナル楽曲に岡田麻紀さんが体操をつけ、福島市発信の形で全国区へ。多くのTV、雑誌などの主要メディアに取り上げて頂けました。楽曲だけの力では、ここまで行けなかったと思います。関わってくださった皆様に、深く感謝しています。
コロナパンデミックの波を経て、松陰塾川口末広校の塾長を4年勤めました。そこで、『一人ひとりを大切に、もっとじっくり丁寧に対話を重ねて学習と向き合いたい』と思うようになったのです。実現させるには、それはFCや会社勤めでは叶いそうにないと感じ、教室を立ち上げました。

