AIは道具

「AIは有用だが、教育の核心は、AIに頼っていいのか?」
そう感じさせられることが、AIを使えば使うほどに増えてきました。

とある中学校の期末試験。問題内容の分析に、
AIの力を借りています。

問題内容の正誤確認はこれからですが、解くこと自体は時間がかからないので造作ないんですが、

大変だったのが
・分析
・注意点
・入試の頻出度
・難易度

でした。分析や注意点はまあ何とかなるのでいいですが、全てを個人の尺度でやっていたので、データとしての価値から見て、客観性がありませんし、なにより、時間がかかっていました。すごく。

ですが、AIのおかげで、今まで数時間かかっていたものが、解く時間も含めて、1時間以内でできるようになったのは、大きいです。

自分だけの感覚で分析をしていくと、「あっ、これ良い問題だな」と感じると、入試頻出度を上げがちになることが分かっています(笑)

またAIだけに頼ると、的確なデータ分析はしてくれるんですが、お子さんごとにやるべき復習ポイントなどの点においては、どうしてもなおざりになります。そりゃそうです、一人ひとりのお子さんの性格を、的確に入れることは至難の業なので。

AIを使って分かってきたことは、文章の校正などには向いているんですが、とあるAI(おそらく世界で一番使用されているAI)は作成において、かなりブレが生じることが分かってきました。かなり目安(プロンプト)を出しても、日本人ならではの感覚の部分など、まったく理解できないのだと分かりました。

なので、最近は校正の範囲を超えて作成しようとする、そのAIの使用を控えるようになりました。

ですが、AIの活用の仕方次第では、時間のかかり過ぎていたプロセスをだいぶ省ける、客観性を持たせるなどの面において、だいぶ楽になれることも分かっています。

その浮いた時間は、生徒一人ひとりに向き合う時間や、授業づくりに使えるようになります。

AIは便利な道具。
ですが、使い方を一歩間違えれば、振り回されます。私は、大人のアルコールに近いように感じるようになってきました。これは、利用できるようになるまでは、危険な道具だと。

最後はあくまで「人」です。
AIの使用は、いい加減、さじ加減を測りながら進めていきたいです。

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